武士道とは?

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こんにちは、くにやすです。

武士道(ぶしどう)とは、日本の近世以降の封建社会における武士階級の倫理、道徳規範及び価値基準の根本を示し、体系化された思想一般を指します。広義には日本独自の常識的な考え方を指し、その定義は存在せず、時代は同じでも人により解釈は大きく異なるようです。

武士道という言葉は誰でも聞いたことがあると思いますが、「昔の侍が持った潔い徳・倫理観」と肯定的に捉える人もいれば、「古臭い考え方」「現代には必要ない克服すべき思想」とネガティブに捉える方もいると思います。

また、学術的な議論においては「武士道は近代になって『創られた伝統』である」という議論もあるようです。

武士の歴史

日本は古代から、大和朝廷の天皇家・貴族中心の国家支配が続きました。しかし、中世には武士が成長し、やがて武士が政治的な実権を握る幕府が生まれ、江戸時代が終わるまでは武士を中心とした政治が行われていった、というのが日本史の大まかな流れです。

武士が成長したのは10世紀頃です。大まかには、以下の2つの流れで武士が生まれたというのが定説です。

①地方の国司の子孫、地方豪族らが勢力を拡大するために武装し、戦うようになり「兵(つわもの)」と呼ばれる

②政治的中心地域で成長した豪族が、朝廷の武官になり貴族に仕えるようになり、「武士」と呼ばれる

武士の特徴

武士道にはさまざまな面があるため統一的な把握は難しいものの、共通するものを整理すれば、
以下の「七則」があると説明しています。

①忠:主君への忠誠

②義:正義、善の観念、約束を守ること

③勇:勇気、勇敢、勇猛

④誠心:誠、意地、恥といった倫理観

⑤証拠:根拠に基づいて主張すること(主君にも間違ったことは主張する)

⑥礼:礼儀

⑦普(あまねく):武士の男性だけでなく女性、庶民にも普遍的なものとして浸透

江戸時代の武士道

武士なのだから勇猛さや戦闘を重視することは当たり前ではないか?と思われるかもしれませんが、江戸時代になると武士は戦闘集団から官僚的な存在へと変化していき、『甲陽軍鑑』的な武士道は変質していくことになるのです。

江戸後期~明治期の武士道

江戸後期~明治期になると、武士道の意味が大きく変化していきます。この点は多くの
歴史学者が共通の見解を持っています。

①儒教的な教説が武士道にも浸透し、「士道」という言葉が使われるようになる

②明治国家による近代国家建設を追求する国家主義と結びついた

③武士道は主君に対する忠義を一つの特徴としていたが、忠義の対象が天皇一人になる

④武士と言うアイデンティティを失った武士がキリスト教(プロテスタント)を信仰するようになり、武士道もキリスト教に結びつく

このような変化があった為に武士道は近代に入って国家によって「創られた」ものである、明治政府が創った架空の思想である、という非難も多くありました。

明治時代以降の武士道の解釈

明治維新後、四民平等布告により、社会制度的な家制度が解体され、武士は事実上滅び去りました。明治15年(1882年)の「軍人勅諭」では、武士道ではなく「忠節」を以って天皇に仕える事とされましたが、日清戦争以降評価されるようになりました。

例えば井上哲次郎に代表される国家主義者たちは武士道を日本民族の道徳、国民道徳と同一視しようとする動きとなりました。

近代における武士道

武士道は日本の発展にも重要な精神となった。武士道の精神を基本とした士魂商才という言葉も生まれ、拝金主義に陥りがちであった精神を戒め、さらに商才を発揮することで理想像である経営者となることを表すものでありました。

今日では企業の倫理が問われるようになっており、経営者や戦略における要素となっています。武士道などの精神は経営学系統の大学、高校において標語として採用している場合もあり、現在では国際化の進展に合わせて日本の武士道などの日本経営精神に対する必要性をあげる場面もあります。

大河ドラマでも放映されました「渋沢栄一」は、今後の時代に必要な武士道を説くなどと明治時代から大正デモクラシーにかけての日本の実業に関する精神が唱えられ、日本的経営に必要な背骨となったと言われています。

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